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昔話

少し昔話をします

結構だらだら書くんで、だるくなったら閉じてください



~~~~~~~

小学生に入りたての頃に「Back To The Future」という映画を初めて観ました
1年生の時に同じクラスで、現在でも付き合いのある友人も同時期にその映画を観ていて、二人して


「いつかタイムマシンを作れるような科学者になろう!」


なんて約束したりしてました。
その時、初めて現実的な夢を持ちました
それまではヒーローとかでしたからw

それからというもの、科学的な事が大好きになりましたし、私は科学者という夢への思いを強くしていきました
ですが、4年生の頃に何かのきっかけで「教師になりたい」と思うようになりました。
まぁ多分「勉強教えて、その人がすごく喜んでくれた」か、「ちょうどその頃入ってきた先生に憧れて」のどっちかですね。今思えば両方の理由から教師を目指したんだと思います。

6年生の時の最終的な夢は「科学者」「教師」のどちらも目指していました。

競泳は2年生の頃から始めて、4年生・6年生の時にリレーでジュニアオリンピックに出て、特に6年生の頃は8位入賞なんかしちゃったりして、「競泳でオリンピックに出る」ってのも視野に入れてました。


中学生になると夢への思いが強くなりましたが、学校と競泳の両立でかなり不安定になっていきました
両親からは当然のように「勉強をしなさい」と言われ続けました。この頃は本当にきつかったです

テストでは各教科80点無いくらいでした。順位は120人くらい中30位くらいでしたでしょうか
でも両親からは「もっと勉強しろ」と言われ続けました。
でも、ほぼ毎日競泳の練習のために夕方5時から9時すぎまで泳ぎに行っていました。
帰ってきてすぐにご飯→お風呂。宿題をやったらもう11時でした。
家も狭く、私が夜中机のあかりをつけていると家族に迷惑がかかる程度に狭かったです。

授業を聞いて、その時間中に理解することを覚えました。そうすれば家で勉強しなくてもいいからです。
まぁ限界はありましたが…
テストの提出物はやる時間がありませんでした。まぁ休み時間にやればよかったんですけどね
順位は毎回27位前後でした。内申も別に悪くなかったので私自身は満足していましたが、やはり両親からは毎日のように「勉強しろ」と言われていました。父は中卒、母は高卒…何か引っかかりを感じていました。

競泳はチームメイトに恵まれ、良い意味で刺激しあいながら切磋琢磨していきました
私は当時一番チビでガリでした。今では面影もありませんが…w
筋トレも好きではなかったですし、あまり食べれる方ではありませんでした。
ですが、大会での成績は悪くなく、県内レベルであれば上位入賞できる程度の泳力は持っていました。
しかし両親、特に母親はベストタイムが出ても、上位入賞しても「○○君より遅い」「××の大会の制限タイムを切れていない」と言い、父親からは「今までどれだけ銭をかけてきたと思っているんだ」と言われてました。
両親は競泳経験者じゃないんですけどね…


学校の成績は上げなければならないし、良い点数・成績をとっても特に褒めてもらえず、競泳ではどれだけ努力をして泳力が上がっても両親に満足してもらえる成績に到達できませんでした。
何をしても認められませんでした。

気づいたら心が壊れていました。

寝ようと布団に入って目をつむると耳の奥から

「ガシャガシャガシャガシャ」

と耳鳴りがするようになり、寝付けなくなりました
そして外を歩いている時には、周りにある街路樹やタイル、家やそこについている窓の数を無意識に数えるようになっていました。カウント症というものらしいです。
この頃には昼間起きていても耳鳴りがすることもありました。

そして2年生の頃にはシャーペンで自分の腕をガリガリしていました。
太ももをペンでガンガンやったり、ひたすら物を殴っていました。窓の桟とかよく殴ってました。ひどい時は拳が切れて出血するまで殴ってました。まぁ自傷の始まりですね


母親に

「強い競泳選手になってオリンピックに出たい」

と言ったことがあります
そうしたら母親は

「水泳では将来食べていけないんだよ?」

と言われました。結局お金の話でした。
説教の時も両親からはお金のことを含めながら怒られていました

「毎月どれだけスイミングに払ってると思っているんだ」
「こんな成績で、あんなタイムしか出せないなら、水泳に出している金を塾に回す」

両親的には一番大切なのはお金なんですよ。まぁ社会人なんだし当然と言えば当然ですが…
言われるたびに自傷も増していきました。
競泳のライバル達は、勉強なんてせずにただ競泳だけやっていればいい環境を与えられているのに、私にはそんな環境がない。
ただ、「教師になりたい」という夢を両親に話していたため、勉強しなければならないのは必然でしたね…


2年生の終わりに、もう一度リレーでジュニアオリンピックに出場することができました。
私のミスもあってほぼビリっけつの予選落ちでした。
友人に

「来年全中出られなかったら、もう競泳やめようかな…」

とポロっと言ったら、

「なんでそんなこと言うんだ!もっと一緒にやろうよ!」

と言ってもらえました。
本当にいい友人に巡り合えたと心から思いました。

全中に出場するためには、県大会で全中の制限タイムを切らなければならなかったのですが、切ることはできませんでした。かすりもしませんでした
ただ、県大会の1週間後にあった東海大会では、大きく自己ベストを更新し2位入賞し、全国大会のタイムを切っていました。残念でしたが、チームメイトは自分の事のように喜んでくれました。うれしかったです。
母親からは「なぜ1週間前にその力を出さなかったのか」と言われましたが、私は県大会から東海大会までの間で猛練習をして色々自分の泳ぎを改良していたため、母親からの言葉は本当にきつかったです。


夏の終わりごろに色々めぐりあわせがあり、県内トップの公立高校からお誘いを頂いたりもしましたが、結局市内の公立高校に推薦で入りました。
中学2年の頃に、私の人生を大きく変える人とお付き合いすることになり、精神的に助けてもらっていました。
それもあってか3年生の時には精神疾患的なものは軽くなっていきました。
(この頃から私のオタク度がマッハに加速していきましたがw)
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バロン・Lv8

Author:バロン・Lv8
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@kouT_nmbrn
オタクなのか怪しいけど、分類するなら「声優オタク」であり「ゲームオタク」
気に入ったゲームはやりこみます。縛りプレイばかりですが。
●モンハン
ソロハンター。G級防具コンプ厨
●ポケモン
気が付いたらプログラミングしたり、2次関数を平方完成したり、11元1次方程式とか解いてた。
●TCG
DMメイン。この前自作カードゲーム作ったよ。結構遊べます。

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